ミヤタブログ

’94年生まれの25歳。中京大中京サッカー部→筑波大学蹴球部。大学4年時にインカレ優勝を経験。現在は東証一部上場電機メーカーで営業マンをしています。このブログは僕が感じたこと、考えたこと、そして今までの体験からの学びを発信していくためのものです。少しでも共感、応援してくださる方がいれば幸いです。

ゆとり世代が体罰を肯定してみた

昨今、「体罰ダメ、ゼッタイ。」みたいな内容の記事やニュースが取り沙汰されている。

最近では、言うことを聞かない生徒の手の甲を叩いただけでも体罰になるらしい。そんなことで懲戒処分なんかになってしまったら、やってられないだろう。

 

学校教育法第11条

校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

 

こんな法律がある。

実は、僕も教員免許を持っているし、実際に教育実習も経験した。さらに言えば、平成6年生まれ。ゴリゴリのゆとり世代だ。

体罰が良いとか悪いとか議論する以前に、体罰は法律上行ってはいけないものだということは理解している。

 

 

だから、これから話す体罰については教育現場ではなく、競技スポーツの世界でのものだという前提で話をしたい。

 

まず僕自身の話をさせてもらう。

僕は5歳の頃からサッカーを始めた。小学3年生から県内屈指のクラブチームに入団し、サッカーに本気で打ち込むようになった。

小学、中学、高校、大学と全てのカテゴリーで全国大会に出場した。ある程度、レベルの高いところで常にプレーを続けてきたと言えると思う。

そして、僕は小学、中学、高校時代に今ではかなりの問題になるような体罰を受けながら、サッカーをしていた。

 

小学3年

相手にファールをされて、足を痛めてしまった。グランドで倒れていると、監督がこう言った。

 

「ガキじゃねーんだから、さっさと立て」

 

怖かった。ここでは甘えは許されないと小3ながらに感じたのを覚えている。

 

小学5年

試合でいいプレーができなかった。ベンチに戻ると、監督がブチ切れていた。監督と僕の距離は5〜8mほど。至近距離から監督が僕に向かってボールを蹴った。お腹に直撃したのを覚えている。

 

中学1〜3年

中学生になり、もちろん指導者も変わった。次の指導者は、ブチ切れると中学生相手でも容赦がなかった。ゆっくりと僕に近づき、鼻と鼻がくっついてしまう距離から罵声を浴びせられる。ヤンキー同士の喧嘩シーンでよくあるやつだ。あれを一方的にやられる。それが怖くて、チームを去った友達も多かった。

 

高校1年

正直この監督が一番すごかった。日常的に体罰というか、暴力が行われていた。

ロッカールームで、ボールの上に座っていた先輩は、監督の前で正座をさせられ、顔がパンパンに腫れ上がるまで殴る蹴るの暴行を受けていた。もちろん血だらけだ。まったく話を盛っていない。

練習中、ミスをした先輩がいた。胸ぐらを掴まれ、顔面を殴られていた。先輩は一度殴られるごとに一歩ずつ後退していく。殴られて後退し、殴られて後退しを繰り返しているうちにグランドの端から端まで横断していた。もちろん、この先輩も血だらけになっていた。話はまったく盛っていない。

もちろん僕自身も食事中に話をしていたという、理不尽すぎる理由でボッコボコにされたこともある。

遠征中の晩ご飯に出された生卵を、思い切り投げつけられた人もいれば、

「ヘディングの練習だ!」とポストや地面に何度も頭突きをさせられた選手もいた。

 

 

とここまでパッと思い出した事を書いたきたが、もちろんこれはほんの一部に過ぎない。

そして、僕が高2.3年の頃に全国的に体罰が問題になり始め、それと同時期にこの監督は、僕たちの前から姿を消した。

 

次の監督は、体罰が問題視され始めた時期であることもあってか、体罰は一切しなかった。もちろん声を荒げて怒鳴られたり、罰走などはあったが、正直まったく苦しくはなかった。

 

 

高1の時の僕には恐怖心しかなかった。いつ殴られるか、いつ蹴られるか。

そんなことに怯えて、サッカーを楽しむ余裕などなかったし、監督に怒られないようにという気持ちばかりだった。

 

それでも僕たちは県大会を制覇し、冬の全国大会に出場することができた。

その要因の1つに、僕たちはすごく仲が良さが挙げられると思う。

「監督に怒られないように」という理由ではあったかもしれない。それでも選手一人一人が、協力して、お互いを助け合っていた。ボコボコにされた選手がいれば、その選手をみんなが庇うし、監督がいないところでフォローをしあった。

監督がヒール(悪役)となることで、僕たちは1つになれていた。

 

高校生という、心身ともに大人に近づいていく時期に、あれ程の恐怖心、緊張感、痛み、悔しさ。さまざまな経験をできたことは、今の僕の大きな財産になっていると思う。

 

高校卒業から5年が経った。

高校のサッカー部のメンバーは、全国に散り散りとなったが、年に1度全員が集まるようになっている。

そこで話題になるのは決まって、高1のときのことだ。

あの怒られ方は可愛そう!とかボコボコにされた後の泣き顔がウケた!とかそんな話をする。もう笑い話になっている。あの頃を引きずって心に傷を負っている人など誰もいない。

 

ほとんどの人が今は就職して、社会人として闘っている。だが、あの時以上に苦しいことなど1つもないと全員が言う。

 

 大学への進学が決まった時、就職先が決まった時。僕は、高1時代の監督に連絡を入れた。

電話する前は怖くて仕方がなかった。脇汗を尋常じゃない量かいていた。

僕が要件を伝え終わると、今まで一度も聞いたことのないような、優しい声でがんばれよと返ってきた。あれほど怖かった監督がそんなことを言ってくれると思っていなくて唖然とした。

 

もしかしたら、監督の本当の姿は電話越しの監督だったのかもしれない。

 

徹底的にヒール役になることで、僕たちの精神力、忍耐力、チーム力を鍛えてくれていたのかもしれない。

 

僕は体罰に育てられた最後の世代だ。

だからこれからの世代は、ダメだ!とか精神力がない!とか、そんなことは言わない。

 

それでも体罰や、理不尽なことでも乗り越えてきた同志たちを僕は尊敬するし、本当に困った時、そういう人たちと協力して乗り越えていきたいと思う。

 

ゆとり世代体罰を肯定する

そんな話です