本当に努力で天才を越せるのか
「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力である」byトーマス・エジソン
すごく有名な言葉ですよね。この言葉のせいで(おかげで)、誰でも必死に努力をすれば天才に近づくことができるという考えを持つ人が多いと思います。
ただ、この言葉の真意として、99%の努力も必須ではあるが、1%のひらめきを大切にし、これを生かす事が出来なければ天才ではない ということみたいです。
ここからは、僕個人の意見です。語弊を恐れずに言います。
凡人がいくら努力をしても天才にはなれないし、天才には敵いません。
僕はたった23年間しか生きていないし、これまでの人生で多くのことに挑戦してきたわけではありません。16年間サッカーばかりしてきた世間知らずです。ただ、サッカー界いやもう少し拡げて、スポーツ界のことはよく理解しているつもりです。スポーツ界では決して凡人がプロとして活躍することはできませんし、ましてや日の丸を背負って闘うことなどありえません。
ーーーでも…サッカーの長友佑都選手(現 日本代表、インテル)は、高校時代は無名の選手で、大学でもなかなか出場できなかったという話を聞きましたよ!やっぱり努力で成功したんじゃないですか?ーーー
なんて言われそうですが、サッカーをやってきた僕から言わせたら、長友選手は、天才です。持って生まれた才能があります。あれだけの瞬発的なスピードを持っているというだけで十分に天才と呼べますが、それを90分間絶やすことなく続けられることは、凡人には不可能に近いと思います。それは努力でどうにかなるものでなく、明らかに才能です。(筋肉など体の作りについての詳しいことは省きますが…)
ーーーじゃあ遠藤保仁選手(元 日本代表、ガンバ大阪)は?確かに上手だけど、長友選手みたいに足も速くないし、身体能力もスポーツ選手の中では、高くなさそうだけど??---
という声も聞こえてきそうですね。ただ、この人も残念ながら天才です。圧倒的な才能があると思います。まず、遠藤選手といえばフリーキックやコーナーキックのキッカーというイメージが強いと思います。ボールを狙った場所に蹴るには、空間認知能力(物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握、認識する能力のこと)が、必要不可欠です。さらに言えば、その日の天候やピッチ状態など、様々なことを計算する必要があります。ボールと足のインパクトをミリ単位で調整しているんです。遠藤選手と同じ回数、練習をすればできるようになるわけではありません。
それから遠藤選手は、なかなかボールを奪われませんよね。あれは、まあいろいろな要因があるんですけど、特にすごいなと思うのが、遠藤選手はボールを止める瞬間(トラップ)にボールではなく、相手選手を見ているんです。
ーーーそんなのみんなやってるでしょ。---
なんて思うかもしれないんですけど、遠藤選手の場合は、相手の顔を見ているんですよね。だから常に何でもできる。相手は、蛇に睨まれた蛙のようにボールを奪いにこれなくなるんです。こんなことができるのは、遠藤選手には圧倒的な「ボールを止める」技術があるからなんです。ボールを止められるのも才能です。膝や足首の柔軟性も必要ですし、ましてや相手の顔を見ながらボールを扱うとなると、ものすごい視野の広さが必要になります。これも才能です。
このようにスポーツ界で日の丸を背負うような人たちには、圧倒的な才能があるわけです。努力では抗えないんです。だって日本代表クラスの選手たちは、天才が必死に努力しているからです。凡人がいくら努力しても届かないところに行くんです。
じゃあ、努力は意味がないのか。そうではないと思います。
才能と努力は、それぞれ10点満点の掛け算だと思っています。10点の努力をしていても、才能が2点や3点では、まったくダメです。ただ逆に、才能が10点でも、努力が2点や3点では凡人と同じ数値になってしまいます。だからこそ自分が挑戦したいことには、10点の努力をし続けることが大切なんじゃないかなと思っています。
ただ、自分の才能が10点のものを見つけられるとも限りませんよね。だから…
才能10点×努力10点×運10点=1000点満点だと思ってます。
いくら才能があって、正しい(ここ重要)努力を続けていても、家で寝ているときに隕石が落ちてきてスポーツができなくなるかもしれません。これは大袈裟ですけど、指導者に恵まれなかったりするのも運だと思います。出身地や、身長、体質なども自分では変えることのできない運の要素が強いです。だってイチロー選手だって野球では天才ですが、きっとサッカーをやっていたら、あそこまでの成功は収めてないんじゃないでしょうか。才能、努力、運。これらすべて揃って、日の丸を背負っていくような選手になるわけです。
そう考えたら、自分はやったことすらないくせに「もっとこうしろ」だの、「あの選手は使えない」だの、日の丸を背負って闘っている天才たちに、凡人であるぼくたちが文句を言うなんてありえないことだと思っています。
今後僕の人生の中で、「君は天才だ」なんて言葉を掛けられる場面なんてないかもしれません。それでも、いつどこで自分の才能が開花するかもわからないので、不断の努力と運を手繰り寄せることを欠かさすことなく行っていきたいというお話でした。